「がんばる」と「あきらめる」に隠された真実

こんにちは、ススです。

今回は最近よんだ本から印象的だった内容をご紹介。

 

みなさんは「がんばる」と「あきらめる」ということばにどのような印象をもたれていますか?わたしは「がんばる」のはポジティブでいいこと、「あきらめる」はネガティブで悪いこと、と思い込んで生きてきました。例のバスケ漫画で有名な安西先生も「あきらめたらそこで試合終了です」って言ってたし。

 

でもね。最近よんだ本にこんなことが書いてありました。

 

がんばるな、あきらめよう

 「あきらめる」という言葉は、「やりかけたことを途中で投げ出す」というような否定的なイメージでとらえられがちですが、もともとは「明らむ」、つまり、「物ごとの道理、真理を明らかにすること」という意味でした。
 苦しみから逃れようともがくのではなく、「苦しいことは苦しい、悲しいことは悲しい」と、ありのままの現実を受け入れる勇気をもち、迷いを払拭することが、「あきらめる」ということです。

(中略)

 「どうにもならないこと」を何とかしようと、もがき苦しむのはよくありません。
 何とかなることはすればよいのですが、どうがんばっても、どうにもならないこともあります。また、がんばることが幸せにつながるとはかぎりません。
 つらいときは「がんばる」よりも「あきらめる」のです。

ちなみに「がんばる」という言葉のもともとの意味は、「我を張って、強引に自分の意見を押し通すこと」です。

(中略)

 「がんばる」とは、すなわち、他人のことなど考えず、自分だけが得するために行動することです。
がんばったために、本当に大切なことを見落とし、かえって不幸になってしまった人のなんと多いことでしょう。

(中略)

 「苦労のための苦労」には、まったく意味がありません。
 「あきらめる」ことで、視野は大きく広がるはずです。

 

いかがでしょうか。わたしにとっては、大きな価値観の転換でした。

 

 

「がんばる」とは、すなわち、他人のことなど考えず、自分だけが得するために行動することです。

 

たしかにね、「がんばっている」ときって、本人はとっても気持ちがいいんですよ。マゾヒスト的な陶酔感を得られます。「あきらめる」自分を受け入れるより、「がんばって」無理するほうが、よっぽど簡単。だれでも思い当たることあるんじゃないかな。

 

「がんばって」どうにかなるのか、「あきらめる」のか、判断するのは人それぞれで、そこで生じる摩擦はあるでしょう。その摩擦を埋めるために「がんばる」のか、それとも「あきらめる」のか。それも含めて「がんばる」ことがすべてじゃない。

 

この価値観を自分の中に取り込んでおくだけで、人生ちょっと生きやすくなりそうじゃない?これからの時代は「がんばる」よりも「あきらめる」です。

 

明日に向かって「あきらめ」よう。

 

こころのおそうじ。 (だいわ文庫)

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