世界は簡単に変えられる、だって自分が変わればいいだけ。

わたしたち夫婦は、2018年1月現在、地方への移住を検討している。
オットはどうだか知らないが、わたしが移住を考えだしたのは、ここ2年くらいのこと。

わたしは、大手企業のサラリーマンの父と、パート勤務の母との間に育った、ごく一般的な家庭の長女だ。

自分の人生においても、なんとなく父と母の人生になぞらえ、ごく一般的な家庭を築くべく、大学卒業して、幼馴染と25歳で結婚して、結婚と同時に60歳で住宅ローン払い終わるように、ファミリー用のマンションを購入した。

そして、公務員の父と専業主婦の母を持つオットも、同じようなライフプランだったみたいで、結婚の少し前に、トラックドライバーから公務員の下請け的な、これもよくある、安定的な事務系サラリーマン正社員に転職した。

別に何不自由なく暮らしてたし、ダブルインカムだから、けっこう裕福に浪費してたと思う。

なんとなく思い描いてたライフプランが狂いだしたきっかけは、どうやら子供ができそうにないと判明したことだ。

(普通の定義はともかくとして)いままで超がつくほど「普通」に生きてきたわたしにとって、子供ができないことは「普通」ルートから外れる予想外の展開。

「普通」ルートに戻るため、見切り発車の不妊治療もしてみたけど、不妊治療ってお金かかるし、夫婦ふたりの類稀なる努力が必要なもので、よくも悪くも、わたしたち夫婦は、ふたりぼっちでも仲良しで、いい歳して中学生みたいに遊び呆けていられるタチだから、不妊治療は続かなかった。

子供ができないことについて、わたしは少し悲しいと思っている。

でも、言いかえれば少ししか悲しくない。
子供ができなくても、いつかオットと離れ離れになるまではふたりぼっちの家庭を楽しみ、いつかひとりになるときがきたら、そのときはひとりぼっちの家庭を楽しむ。そんなこと考え出してる自分に気がついた。

なんでいままで、まだ見ぬ子供のために、現在のわたしたちの不自由を受け入れてんだろう。
なんでいままで、別に困ってないのに、心が蝕まれてく仕事にかじりついてたんだろう。

そう思ったら、10年勤めた仕事が右肩下がりでうまくいかなくなって、結局退職した。
そしていまオットが「好きを仕事に」を目標に、転職活動を開始してる。

よく考えたらさ、ごく一般的にみえてた両親だって、それって人生選択の結果にすぎない。「普通」なんて、人生をピンスポットでみたら、全く意味ないことだった。その瞬間に「普通」なんてありえない。

そう考えたら、なんだか世界が変わって見えた気がしたんだよ。